スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

文化資本論

資本論はご存じのように、
マルクスの理論でありますが、
現代社会学の寵児であるPierre Bourdieuは、
それの批判的な継承という観点で、
文化資本論を主張した。。。
簡単にいうと、
文化的再生産論、階級=分類化論であり、
生成論的構造主義を標榜する。
彼の理論を図式化すると、
(HABITUS×CAPITAL)+CHAMP=
PRATIQUE*STRATEGIES,TRAJECTOIRE
ここで文化資本とは、
①HABITUS化された状態、②客体化された、③制度化された、
社会的関係資本を含めた、文化的な資本である。。。

理解すべき点は、
「自明視」と「自己排除」のロジックである。
この点は経済システムや株の取引を行う際にも、
どのように平面からではなく、
それらを鳥瞰できるかの問題と関わるため、
重要なポイントになりうると思われる。

さて、
不平等とは、それを意識する者にはたしかに不満や怒りの感情を伴って経験されるものだが、しかし不平等がつねに意識化されるとはかぎらない。
特に先進諸国ではその構図は見えにくくなっている。
教育における選別の仕組みを問うブリュデューとパスロンは、行為者たちにおいて客観的要因と主観的要因が相互作用し、選別を選別と意識させず、したがって淘汰を自明視させつつ、かえって不平等を促進するという過程の存在に注目している。
進学し、学歴にふさわしい職業に就くことは、
実は、親の伝える文化資本(蔵書、趣味、ある内容の会話)が有利さをあたえるだけではなく、兄弟、親戚など周囲の人々の多くは大学生活を経験済みだから、大学がどんな所なのか分かっている。
のみならず、「進学は当たり前」という、別の意味でかれに重圧を及ぼす雰囲気さえある。
このB(都市のリセに通う少年)がやがて高等教育機関に学ぶようになる確率はきわめて高いだろう。
したがって、
ブリュデューらは「上級管理職の息子にとっては、高等教育は陳腐で日常的な運命となる……(それに対し下層の生徒においては)高等教育進学への主観的期待は、客観的チャンスよりもさらに低いものになりがちである」と論じる。

教育における選別は、こうした二重の方向(促進と抑制)のいわば主観的な自己選別(autoselection)のプロセスに支えられるがゆえに、「自明」視され、強く不平等として体験されることがない。
だが、そこに結果としてあらわれているのは、能力主義の建前に反する階層差の促進と再生産なのである。
ここでブリュデューらは、高等教育についての「イメージ」とか「知覚」といった主観的カテゴリーの殊の外重視している。もちろんそれは純主観的な表象なのではなく、社会的な関係や経験を通してつくられた表象であり、いうなれば、社会的諸条件の主観化とでもいうべき過程からの産物である。それゆえに階層の差異を反映してもいる。これがhabitusというコンセプトのつながっている。

出世街道が開かれる確率が高い「選択肢」を「知っている」ことと「選ぶ」こととは違う。
労働者の子弟がその選択を躊躇するさいに、無視しがたい作用をおよぼすのは、現実の必要性であり、学びのハビトゥスの適合性のいかんである。すなわち、ただちに確実に就職と結びつくとイメージされる学部や学科を選ぼうとする傾向が一つ、慣れ親しみと勉学のノウハウの不足がいま一つのである。
「自由な選択」、それは社会学的にはあり得ない行為である。意志や目的に導かれた選択はたしかにあり得るし、それが人が新たな機会や地位を獲得するうえでの原動力となることはまちがいない。しかしその意志や目的は社会的にあたえられた条件づけから自由ではなく、選択の領野は決して自由に広がってはいない。不平等はこうした意志や目的の設定における不平等、すなわち選べる領野の狭小という点にまで入り込んでいる。

それゆえ、人々の地位や条件の不平等は、財力や人を支配・管理する力の大小という客観的な関係を含みながら、こらはおおい隠し中和化する文化的な卓越の有無という面でもあらわれる。これを象徴化された不平等と呼ぶことにしよう。ここでの象徴化とは、生の力の大小ではなく、意味上の正統化(秀でている、鋭敏な感性をもつ、優雅である、等々)を指すものであって、しばしば財力や人への支配力の行使などを「俗物性のあらわれ」として軽蔑するヴィクトルさえ備えている。しかし、この象徴的な力はたいてい上層の集団が共有しているのであって、そうであればこそ、客観的な不平等関係を「不平等」と認識させない中和化の力として行使されうるのである。

以上のような文化資本は、
現在の東大を例にしても同じことが言える。
東大の学生の親は80%が、
教授や医者や弁護士や社長など、
いわば支配階級の人である。

じゃ、すると、
日本社会は階級社会なのか?
残念ながらそうであるが、
既述したように、
先進国になると、その構図が見えにくくなる。
被支配階級さえも中流以上の生活を営むから。。。

さて、これが何で株と関係があるかと???
大いに関係するさ。。。。

この自由民主社会においては、
機会の平等は与えられている。
誰も頑張れば何にでもなれる。
実際に成功者もいる。。

しかし、よく考えてみると、
これはないに等しい確率である。
つまり、被支配階級から成功者が出るのは、
宝くじに当たる確率なのである。
現に存在するから、
それだけが強調されるに過ぎない。。。
上記のブルデューのいうように、
実は自ら選別してしまって、
頑張ればできるのではなく、
頑張ってもできないと、
自らが選別してしまうのである。。
遺伝的な優越ではなく。。。。

このような社会構図の中で、
株で稼げるのも2%の勝ち組しかない。
実際に誰かが稼いでるから、
皆ができるという幻想を見る。。。
しかし、誰もが東大に入れないように、
誰もが勝ち組にはなれない。。。
上昇相場で世間を騒がした連中。。。
すでに半分以上は消えてるし、
残りも、強運な3%の人間ではない限り、
消えていくのはそう遠くない。。。
バブルの時も同じであった。
当時を風靡した伝説の投資家はすべて消えてる。。
歴史は繰り返される。
容赦なく秩序は厳格に選別をしてしまう。。。
10億稼いでも、溶かすのは一瞬。。。
実力で稼いだと幻想を抱いてる限り、
蘇生は不可能であろう。。。。。。。

しかしながら、
このような秩序に順応しつつ、
生き延びるのがまさにハイエナである。。。
獅子とは戦わない。
いや、戦えないから、屈服はしないものの、
その秩序は乱さない。。。
その中で美しきハイエナの生き方がある。。。
ハイエナ戦法の姿勢を吟味してみると、
この意味が分かってくると思う。。。

少し資産が増えるとすぐ驕ってしまうのが人間の常。
純真で知らなかったわけではないが、
しかし悲しい。。。
私の人間に対する評価は能力ではなく信頼である。
能力ってそれほどの差はない。。
一緒に頑張れば埋まるくらいの差。。。
信頼は苦しいときに分かる。
いいときには誰でも余裕があっていい人になれるが、
苦しいときにはそう簡単にできる問題ではない。
しばらくの間、辛い相場が続きそうです。。
皆で頑張って、これを乗り越えましょう。。
そしてそのようなときだからこそ、
互いを労り合い、励まし合い、
信頼を築いていきましょう。。。
そして真の仲間皆で勝ち組になり、
皆で楽しく儲けましょう。。。
スポンサーサイト

コメントの投稿

Secret

プロフィール

損正義

Author:損正義
永遠の30代を目指すw
(株)EIENの永遠な繁栄を目指す。皆で楽しく儲けることができる真友の結成を目指す。 損正義にメ~ル
(株)EIEN

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ブログ内検索
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

英会話はエイエン!!!
banner_eien_20090530121607.gif bannerem4u.gif
ハイエナ戦法の概要
ハイエナ戦法の概要
(株)EIEN

最近の記事
最近のコメント
リンク
RSSフィード
カテゴリー
月別アーカイブ
最近のトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。